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2011年3月14日 (月)

東日本大震災の記録:3月11日

3月11日午後に発生した東北地方太平洋沖地震。その被害の大きさは目を覆うばかりだが、全体的な報道や記録はマスメディアにまかせるとして、ここでは自分の周辺はどんな具合だったかということを、記憶が確かなうちに書き留めておきたい。

3月11日(金)
午後2時46分 最初の揺れ

ちょうどパソコンの前にいた。前日までに確定申告の準備(記帳など)をやっと終わらせて、その日はいよいよ国税庁のサイトから決算書と申告書を作成する予定だったのだ。Mac は普通に起動していて、Win マシンはスリープの状態だった。最初の揺れは小刻み。「あ、地震だな」と思ったがこれほどの大事になるとは想像もしなかった。

このあたりは地震が多い。だから揺れたらとりあえずその場で様子を見る。しかし今回は揺れがだんだん大きくなる。天井の照明器具が大きく揺れる。隣室から夫が「パソコンの電源落とした?」と様子を見に来る。そこでハッとして終了させようとするが、そのときにはもうポインタをメニューに合わせるのがむずかしいぐらい揺れは大きくなっていた。が、何とか終了することができた。Win マシンの方はスリープのまま放置。そのまま隣のリビングに通じる戸口まで行ったところで(歩けないほどではなかった)、リビングにおいてあるピアノの上から楽譜がスローモーションのようにばらばら落ちてきた。そればかりでなく、ピアノそのものも大きく揺れている。夫が手で押さえ、最初の揺れが収まるまでそのままでいた。その後居間に移動してテレビの情報を見ながら被害の点検(1階だけ。2階のことは翌日まで忘れていた^^;)。このとき携帯を仕事部屋に置き去りにしてしまい、娘やら友人やらがメールや伝言メッセージを何度もくれたのに長い間気づかなかった。

被害は思ったより軽微だった。

リビングダイニング:ピアノの上に載せてあったものは、楽譜多数、ワイヤー製の簡単な本立て。デジタルのメトロノーム。飾り物少々。みんな落ちたあと、ピアノカバーもすべり落ちた。液晶テレビは無事。書棚がいくつかあるが、扉のあるものものないものも、本が飛び出したということはない。ただ、ガラス戸付き書棚の棚に飾ってあった小物は中で倒れているものもあった。

玄関:傘立てが倒れたが、観音開きの収納戸棚は無事だった(扉も開かず)。

私の仕事部屋:洋服ダンスの扉は開いたが、中のものが飛び出すほどではなかった。片隅に積んであるCDはかなり落ちた。CDが十数枚入るような小さなケースをいくつか積み重ねているのだが、上の方のはケースごと落ちた(と思う…もう記憶があいまい)。スチール製の本棚が2本ある。本がびっしり、場所によっては前後2列に入っているが、1冊も落ちなかった。そのほかにスチール製のラックがあり、ここにも本が少しあるが(本棚ではないのでブックエンドなどで押さえている)多少傾いただけ。と思って今よく見たら、飾ってあった父の写真がない! あ、下に落ちている。うわぁ、お父さんゴメンね〜m(__)m。しかしサイドデスクの上に簡単な本立て(プラスチック製)を置いて詰め込んでいたパソコンや仕事関連の参考書、実用書や諸々の書類などが、本立てごと一気に落ちた(しかしこれに気づいたのはかなりあと)。机の上の電気スタンドは落下(翌日発見^^;)。夜になってスリープさせていた Win マシンを終了させようとしたが、ディスプレイがつかない(つまり「停止」のダイアログが見えない)。ははあ、コードが緩んだかな?と思ったが、ディスプレイの背後に回るのがけっこう大変なので、電源ボタン長押しで終了させてしまった(好ましいことではないが)。

キッチン:食器棚の扉が開くことはなかったが、中の食器は一部倒れていた(割れたものはない)。スライド式の配膳台が組み込まれているが、これは飛び出していた。あとは、昼食に使ったフライパンに水を張って調理台の上に置いていたのが水がこぼれて調理台が水浸しになり、一部床にもこぼれていたぐらい。

寝室(和室):鏡台の上に置いてある小物や化粧品、コードレス電話の子機が落ちていた。照明器具の部品が外れて傘が傾いた。折れたのかと思ったが外れただけで、なんなく復旧。

こうしている間にも二度、三度と大きな余震があり、小さな余震は数知れず。そのうちにテレビが津波の被害の様子を映し始める……

夜までの間に実家や友人と電話で話し、娘たちにはメールで無事を連絡。メールは携帯、パソコンとも通常どおり送受信できた。

プロパンガスのボンベは自動停止していた。停電にならなかったのはありがたかった。水道も直後は普通に出ていたが、夕方ぐらいから出が悪くなる。トイレの水が心配なので浴槽に水を張り始める。細いのでなかなかたまらない。が、夜寝る前には少し回復したように見えた。

その日はガスを使う気になれず、缶詰や冷凍食品で夕食。

娘夫婦はどちらも都内の勤め先におり、交通機関がマヒしていわゆる帰宅難民に。結局どちらもパートナーと合流して徒歩で帰宅した。長女夫婦は自宅まで2時間半歩き、10時半ごろ近くのモスバーガーで夕食と知らせてきた(このときは携帯電話で話せた)。次女夫婦は合流まで時間がかかったらしく、私が寝るころに「会社で待機中」のメールが来ていたが、その後深夜から歩き出したらしく、朝早くに「帰宅」メールがあり、ひと安心。

夜は服を着たまま寝た。携帯を枕元に置いていたが、夜中に何度も「緊急地震速報」の警報音で目が覚める。しかし実際には飛び起きるほどの余震はなかった。


<以下は本日(3/14)昼前に買い物に行ったときの様子>

灯油とか飲料水を買いに車でホームセンターに向かう。途中の国道、信号で左折したいのに左のレーンがまったく動かない。左折した先が混んでいるのかと思ったがそうではなく、信号の少し先にあるガソリンスタンドに入ろうという順番待ちの列だった。私たちはいったん右レーンに出て左折したが、曲がった道にも国道に合流しようという車がびっしり。みんながガソリンスタンドを目指しているとは限らないが、この列に入ってしまったら、道は狭いし途中で抜けるのが非常にむずかしい。帰りはこの道は使えないな。私たちがいつも給油するスタンドは閉鎖されていた(在庫切れ)。こんなスタンドがあちこちにある。車はできるだけ使わないようにしよう。といってもこのあたり、車で移動しないとどうしようもないところもあるのが実情。ガソリンがないと不安なのはよくわかる。

たどりついたホームセンターはものすごく混んでいた。広い駐車場は車でいっぱい。特に灯油売り場には長い列ができていた。一世帯につき36リットルまでの制限。1リットル80円。灯油は買えたが飲料水、お茶のペットボトルはまったくなかった。家にはまだ飲料水のペットボトルが6本以上あるのですぐには困らない。ただ、水道の水に不純物が混じっているようなので(浴槽にサビのような泥のようなものが沈んでいた)、料理にもペットボトルの水を使う方が安心か…(私はまあ、見えなければいいや、と思ってしまうタイプですが…)。電池、懐中電灯、携帯コンロ用ガスボンベも売り切れ。いま欲しいものにみんな殺到する。昼過ぎに帰宅。別の道を通ったので快調だったが、進行方向右側のガソリンスタンドにはやはり長い列ができていた。昼食は冷凍パスタ。停電が(今日は実施されなかったが)予想されるので冷凍食品の買い置きはせず、いまあるものを使ってしまう方針。

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